『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』

■代休とろうと思っていたが、案の定記者会見があり、働く。疲労困憊。

■『311を撮る』
森さんが10年振りに映画を撮ったその理由、動機、さらに安岡さんのドキュメンタリー論に感動した。森さんの文章は常に、一般人的な自分、一つの側面として存在するダメ人間な自分を提示し、自己批判をした上で書いている。自分を特別な人間ではないと前提した上で、人間の脆さに迫れる森さんの目線は素晴らしい。今回の震災を扱う上でも、それを撮ってしまうことの「後ろめたさ」に照準を絞れること。メディアの功罪と向き合った上で、批判も覚悟の上で、それでもドキュメンタリーの持つ力を見つめ合っている。

安岡さんは実質的なプロデューサー業として共同監督として一緒に行動を共にした3人の特徴、個性を冷静に見つめている姿が印象的だった。ときに戸惑いながらも、ドキュメンタリー映画をプロデュースすることに実体を赤裸裸に書き起こしていた。テレビの映像との違いにも触れながらも、映画プロデューサーとして、ジョナス・メカスの言葉を引用しながら、「血の匂いのする映画」を作ると言い切る安岡さんにはインディペンデント映画の覚悟と役割が見えてくる。

自分は311の出来事でどうこう言える情報や、立場になく、またそれについて思いを馳せられる状態にいるわけでもなく、ただ日常を生きるだけで、仕事をするだけで精一杯だったりする。これらの災害等を題材にする使命感が湧いてこないタイプなのかもしれない。ただこれらの大きな出来事と向かい合う監督たちの存在を認識し、自分を客体化する意味を知った気がした。

ジャーナリストとしての面が強い綿井さんの文章より、安岡さん、森さんの方に気持ちが傾くのは自分も似たような心境なのかもしれない。おこがましいけど。

やっぱり自主製作のドキュメンタリー撮りたいな。

新宿バルト9シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』監督:ガイ・リッチー
前作と同じ登場人物たちを軸に全く違う物語が展開されていく。とにかく面白かった。映像美で魅せる緩急あるケレン味あふれる映像に加え、ワトソンとホームズのコンビ芸や一つ一つのギャグがマシンガンのように飛び交い全く飽きさせない。ガイ・リッチーはもともと時間軸を巧みに操作した群像激が得意であったが、キャリアも半ばを過ぎた辺りから、映像の手法そのものによるチャレンジが見られるようになり、そのバランスが上手くとれていないように思えることもしばしあったが、本作は完全に合致していたように思える。連続するカットによる気持ち良さはまさに映像による快楽によるものだが、本作は次のステップに行っているように思えた。バズーカが一つ発射されるのでも着弾にまで至るCGで魅せる。ホームズがスローモーションでその場にあるトラップを一つ一つモノローグで予知していく様も、その映像的快楽にこちらは呑まれるだけといった気持ち良さ。身を預けてしまいたくなるこの心地よさは単に手法だけの問題だけでなく、ホームズとワトソンによるコンビ芸、キャラクター、テンポの良い脚本が前提としてしっかり伝わっており、それらが合わさったことによるものに他ならないのではないか。美術や衣装の凝り方も半端なく、合成のショットも前作で違和感があった感じが全てなくなっていてビックリさせられた。終盤のチェスの駒での会話シーンは、まさに知能vs知能という天才同士に相応しい闘いで、それをしっかり会話だけで「バトル」として見せきる手腕を誇るガイリッチーには貫禄すら伺えてしまった。

ホームズという課題作品を大幅に自分色に染め上げ、最大級の出来で回答してみせたガイ・リッチーの姿勢は実に正しい仕事っぷりであり、ここまで細部に渡り演出を施すサービス精神はとにかくプロレス興行の演出をやるものとして参考になることだらけであった。エンドロールのモーションもカッコいい。ルックの格好良さが全く嫌みに見えないのもガイ・リッチーの凄いところだと思う。お洒落とボンクラのバランスが良い。