『ヒューゴの不思議な発明』そして

新宿バルト9ヒューゴの不思議な発明』監督:マーティン・スコセッシ
機械人形に命を再び宿さんと奮闘するヒューゴと、一種のPTSDのような症状のおじいさんのキャラクター造形に関心させられながら、その引き込まれる3D映像に身を任せていると、これは映画=という装置そのものを讃歌するお話なんだということに気付いて涙が止まらなかった。マジシャンであるおじいさんが映画に行き着き、マジックのような興行、周到に仕掛けを付くり、それこそそれで「夢」を創り与えられる装置であることに、そしてそれを再び見いだそうとする若い世代との交流。

映画を現実逃避のために見ている気がしてきた自分にとって、紛れもなく映画に「夢」を見いだそうとするこの物語は現実寄りの映画だった。映画を作ろうとする動機というのは、現実では叶いそうにもない夢を、周到な仕掛けやフィクションを入れ込むことで現実にしてしまうドキュメンタリーであり、ノンフィクションだという入れ子構造なのだから。

ジョルジュ・メリエスの勉強が足らない。だめだなあ。

■ヒューゴ見た後に一件のメールに気付き、映画を見てそこから現実を変えようと勇気をもらい思いきった行動をした。結果、夢のような一日に。