リミット

■何かが限界越えしたようで、どうすることも出来ずに感情が爆発した。twitterで当たり散らしたが、そんなことをしても何もならないので、建設的な動きをこれからしていこうと思う。まあとにかく疲れまくった挙げ句に、おかまないなしだったので、もう色々と爆発したということ。

キラキラでアップル下請けの工場で一日15時間365日働かされる人たちの話。華やかな創作物の裏側には常軌を逸した過酷な労働があるということだろうか。マイケル・ムーアのデビュー作『ロジャー&ミー』との因果関係を考えると、ひたすら歴史は繰り返されているような気がしてならない。

以前の会社では早々と「マシンになれ、機械になれ。これまでの24年間を捨てろ」と先輩に言われた。ある側面では正解だし、ある側面では間違っていると今は思う。人間らしさとか尊厳とか。プロレスでマスク被ってくれとは訳が違う。それでも昔は理不尽に聞こえた言葉が今はとても多義的に聞こえる。

MAのオペレーターさんから創作はクリエイターとしての側面とエンジニアとしての側面を持たなくてはならないというお話を聞いた。「マシンになれ」は営業職の忠誠という話から創作においてまで幅広く通底している。人間は機械的な反復作業とスレスレ。

自分は喧嘩が弱い。同い年の先輩に理詰めでバキ打ちされる。言いたいことも言えない反町世代。けど同い年の先輩が言いたいことを言ってるから世代のせいじゃない。自分のせい。世代や集団は括りであってもっとパーソナルな部分。

スマートフォンTwitter、24時間いつ来るか分からない仕事のメール。コンビニ化する身体。速報化する日常に疲れた。以前の会社の先輩が「馬鹿野郎てめぇ、俺は21時過ぎたら営業終了だこの野郎!」と代理店の若手をバキ打ちしてプライベートを死守していた。今思うとそれも立派な技術だ。

結局働けば働くほど、諸先輩方の言葉が響く。辞めたとき先輩が「今成よ、ヒエラルキーも悪くないもんだよ」と言葉をくれた。担当が決まった代理店の人が残念がっていたって知ったり。仕事を一つの側面でしか見れていなかった自分自身に腹が立つ。己の視野の狭さ。広角で写真撮れと大学でも言われてた。

映画の闇を好むのは単純にケータイの電源を切れるというのもあって、GAGA担当になってしょっちゅう試写という名の非難を試みたが、作品がリミットという棺桶の中でひたすら生き埋めにされるという救いようのない映画で、まさかその後の自分自身を暗示しているとは思わなかった。

先輩の研修でよく東映に行った。担当者さんの風俗話がいつも面白かった。アジア人がいかに良いかという力説に 笑った。予算が少ない自虐話がいつもユーモア溢れてた。辛くても辛くても東映に行くってなったときは楽しみだった。予算がある会社の傲慢さよりよっぽどユーモアで素敵だった。

部長は「お前には一杯失敗して欲しいんだ」と言ってくれた。「沢山失敗していろんな経験をして欲しい、失敗したら俺がケツをふくから」という親分肌だった。今は真逆だ。「絶対に失敗はするな。ケツは自分でふけ」になる。部長に応えられず、却って失敗を恐れて何も出来なかった。

結局のところ僕はそれだけお世話になった人たちに何にも恩返しも出来ずに不義理をしてその場を立ち去ったのだと分かり、ひたすら泣けてきた。辛くてもそこには愛おしき人間臭さがあったなんて気がつくのは遅過ぎた。だから月並みだけどやっぱりリベンジしかなくて、表現で自負なりに恩を返すしかない

こんなことがすらすらと出てくるんだから、よほど我慢していんだろう。おそらく我慢しているのは自分だけではなく、世の人の多くが何かしら抱えているのでしょう。26歳という年齢はいよいよ世の中の不条理と向き合わなくてはいけないのかもしれない。