新宿生活

新宿FACEのビル地下にあるサウナで60分コース800円。これまで朝シャンは5倍の料金を支払っていたので、これは助かる。また新宿生活の幅が広がった。

ブルーバッククロマキー撮影。さらに総選挙撮影。

■まだまだ若造だ。自分が何を言ったところで、主張したところで、キャリアや実績の前の正論には立ち向かうことが出来ない。郷に入れば郷に従えではないけども、どんな業界にもヒエラルキーがあって、その世界のルールに自分を染めていくことになる。

最近は「楽しそうで良いな」と言われることが多くなった。自分が今、「楽しい」と思える状態かどうかは自分でも分からない。むしろ「辛い」と思えることの方が明らかに多い。仕事の量も、身体に負担をかけていることが前提としてやりきることが多くなった。それでも楽しそうに見えるのはたぶん、以前の会社でどん底を味わった事による対比が自分の中で無意識のうちに行われているからであろう。だから今の状況は辛くても望んでいた「創作」という行為が出来ていることに他ならない。ただ自分のキャラクター自体が誤解されて伝わる事も最近同時に知った。そんな楽しさのペーシスに何だか脳天気に見られてしまうことも少なくない。別にそう見られてしまうのだから、そう見られないように自分が心掛ければ良いことでもある。けども別の視点で捉えるとどうだろうか。僕は前の会社でどん底を味わった。多くの弱音を吐き続け、たくさんの人に迷惑をかけた。もう辞めるしかなかった。追いつめられ方は尋常ではなかった。精神を破綻してまで、この仕事を続ける必要はないと思った。人間の最大の資本は身体だ。人間としての尊厳や自尊心は大人になるにつれて傷付けられ、傷つけ合うのだろう。

僕はその中でサヴァイヴしていく方法として「楽しそうで良いな」と思われる何かを最近無意識に獲得しているのかもしれない。だって人生は楽しむためにあるって尊敬出来る人が言っているのだから。だからクヨクヨ悩んでいるのがばからしい。

信用していないと自分が思うことは、実は表裏一体自分もそう思われている事と同義だと言っていいだろう。「信用」という言葉は安直に使えるものではないが、たった一つの要素で判断材料に出来るものでもないのかもしれない。だから「信用」という言葉を先行させるよりかは「楽しい」と思える場を共有していくことが僕らしさであり、また幸福への第1歩であるように思える。

色々思うことあった。辛いし、納得のいかないこともある。しかし、自分はやれることをやっているし、それ以上の何かを模索している。へこたれてなんかいられない。