『ラム・ダイアリー』

新宿ピカデリーラム・ダイアリー』監督:ブルース・ロビンソン
好きか嫌いかは分かれると思うけど、僕はとても好きな作品だった。ジョニー・デップが惚れ込んだGONZOの話。どれだけ惚れ込んでいるかは、自らが製作を務めたドキュメンタリーがあるように、ジョニー・デップはその人物像、伝記、作品にもかなり惚れ込んでいる。それは自分が主演する劇映画としてこの作品を提示した以上、その人物を演じてみたい、言うなればその人物の人生を一度で良いから経験してみたい、そんな想いに駆られたのではないかと思う。何を題材にするにせよ、その題材、被写体にどれだけ愛を注げるかというのは、作品を作ることにおいて必要不可欠な要素であると思うが、今作はそんなジョニー・デップの愛が随所に感じられる作品だった。脚本は至ってシンプルで、ある種の放浪記のような体裁で、かつ90年代のような演出。つまるところそれほど仕掛けがあるとか、何か重要なメッセージがあるとかそんな感じではない。むしろ登場人物たちの破天荒な魅力そのもので映画を牽引していくような感じだ。だから映画として物足りないとか、ジョニー・デップファンでない人はどう楽しめば良いのか?という問いも発生してもおかしくないのだが、そんなことをうだうだ言う事は建設的な発見ではなく、むしろジョニー・デップ単体の魅力、強いてはキャスティングがもたらすアンサンブルのようなものに僕は成功しているように思える。

映画とは人生訓になりうるものなので、映画として登場人物の行動そのものが、映画の魅力になるのではないかというのが、この作品の最大のオシであるように思えた。ジョニー・デップはその作品の出演暦からして素顔であることが少ないために、本作では素顔のデップの魅力が満載というような売り文句になっているが、確かにそれは何も間違っていなくて、実際のところかなり魅力的なのだ。恐らくそれはトンプソンのアプローチをデップなりに再現した結果であると思うが、その一点だけでも映画は成立してしまう、つまり僕はこれはアイドル映画なのだと思う。人間を登場させる以上、その作品を何度も見てもらうためには、その作品内の登場人物をアイドルにしたてなくてはいけない。そういう意味ではジョニー・デップは自らアイドルになることでトンプソンへの賛辞を表明したのではないかと感じた。

酒に何度となく、失敗をし、自堕落な男たちの格好良さ、そして最後の最後でインチキに対してジャーナリズムで闘おうとするその姿勢。メカスのそれとは逆で、「この世に夢などない、強欲なものばかりだ」という結論はまた儚いものだ。

衣装とか、ロケーションだとかがカッコいい。作品全体にポリシーがあるような感じだ。男と女と車があれば映画が出来るとか、そんなノリの佳作の一本だと思う。